代表者プロフィール

代表者プロフィール

プロフィール

代表者プロフィール

大学卒業後は、元々は、公務員志望でしたが、まさかの不採用で、急きょ、いろいろな企業検索した結果、ご縁があって、チバガイギーという製薬会社に就職し、プロパーになりました。 現代風に言うところの、MR(Medical Representative)です。 担当病院は、大阪府の大和川以南の開業医と中小病院で、毎日、車で平均100kmくらいは走っていたと思います。 おかげで自動車の運転は、かなりうまくなりました。 社会人としての最初の会社でしたので、社会人の一般常識みたいなものは、この会社ですべて教わりました。

 

代表者プロフィール

2番目のメドトロニックでは、植え込み型ペースメーカの販売が主な仕事でした。 今では、実施されていないかもしれませんが、当時は、植え込み手術の立ち会いをやっていて、電極の電位測定などオペの技術支援も営業活動のうちでしたから、東大病院をはじめ、かなりの数の病院手術室への入室経験があります。 最初のオペ立ち合い時の緊張は今でも覚えており、手術前日には、眠れなかったです。 在職中に、トータル500例位の手術に立ち会ったと思います。 患者さんがメスで切開されて、流れ出る血を見るのが、最初怖かったですが、徐々に慣れていきました。  

 

代表者プロフィール

3番目のコーディスでは、マーケティング゙業務を初めて経験しました。 外回り営業を長くやっていたので、初めての内勤業務は、なんか変な感じでしたね。 このころは、PCが世間に広まってきた頃です。 私も初めて、マウスを握ったのが、この会社の時です。 マウス関連で、ウソみたいな思い出話があります。 マウス(ネズミ)というネーミングだったので、私は、「頭が上、尻尾が下」と勝手に思いこんでいて、その思い込みのまま、マウスを持ったのです。 コード線のついている方を手前に(自分方向に向けて)持ったのです。 要するに、逆の持ち方ですね。 当然、マウスを右に動かすと、矢印は左へ移動、マウスを上に動かすと、矢印は下へ移動します。 その時、真剣に、「ヤッベー! これ動きが逆じゃん!慣れるまでに、かなり時間かかるわ」と思いました。 FAXも此の頃に一般的になっていましたが、FAX送信した後に、必ず電話して、FAX内容を読み上げて、着信内容を確認していました。 嘘と思うかもしれませんが、これらは本当の話です。 
米国マイアミ本社への出張時の苦い思い出もあります。 当時、英語もあまり出来なかったので、入国審査でトラブルになってしまい、押し問答になってしまったのです。そうこうする内、両脇を鉄人28号のような屈強な男二人に固められて逮捕寸前になったのです。 異常事態に気付いた地上勤務のJALのお姉さんが、「どうしたんですか!」と、走り寄ってきて、助けてもらったことです。 このお姉さんことは、リアル女神に見えました。今思い出しても恥ずかしい体験です。

 

代表者プロフィール

4番目のイーラーリリーでは、19年間勤務し、様々なビジネス体験ができました。また、社員トレーニングも充実していたので、その後のサラリーマン人生の基本能力が、ここで十分に養成されたと思います。 海外出張に行く前に、やってもらった壮行会は思い出の一つです。 今では、海外出張も昔ほど珍しくありませんが、当時は、海外出張は珍しいことでしたから、壮行会という発想になったのだと思います。
入社時に、東京世田谷の駒沢から、神戸のポートアイランドという人口島へ引っ越し、現在に至るまで、ずっと神戸に住んでいます。 私のサラリーマン人生の要となる実務知識をこの会社で構築しました。  

 

代表者プロフィール

5番目のボストン・サイエンティフィックでは、信頼性保証本部で、総括製造販売責任者をやっていました。 54歳の時です。 東京単身赴任の生活の始まりが、この会社からで、ビジネスマンとしてのマインドセットが変わったのも、この会社からです。 単なるサラリーマン意識から、プロの仕事引受人としてのマインドチェンジが起こり、Pay for performanceを徹底的に追求するようになりました。

 

代表者プロフィール

6番目のハウプトファーマは、ドイツの会社で、入社面接にドイツ・ミュンヘンまで行きました。 当たり前ですけど、ドイツでは、BMW、アウディ、ポルシェなどが、普通にボンボン走行していて、車を見て、ドイツ感を味わっていました。 タクシーもベンツでした。 BMWもベンツも、その多くは、当時、日本未発売の廉価版モデルです。 ドイツ人と付き合いしていると、感性などが、日本人と似てるなと思うことが多かったです。
医薬品製造の受託会社は、初めての経験でしたが、マーケティングの基本を守り、日本市場では認知度が低い会社でしたが、業界内で、ブランド力を向上させることにより、それなりに認知される会社になったと思います。

 

代表者プロフィール

7番目のアボットでは、ハウプトに続いて、2社目となる医薬品受託製造の受注活動を担当しました。 東京本社、勝山工場、神戸営業所の3か所に、私の机があり、大阪と東京の顧客に解決策の提案を続けて、 4年間在職しましたが、その受託製造の機能は市場で評価され、売り上げへの貢献も出来たと思います。一番過酷な海外出張を、この会社で経験しています。 それは、20日間の日程で、北半球1周です。 帰国した時は、体内時計が破壊されていて、東京のホテル滞在時に、「あれ? このホテルのテレビ、日本語放送やってる!」なんて思ったくらいです。 自分で組んだ海外出張スケジュールでしたので、誰にも文句が言えません。 この会社で、60歳定年退職となり、盛大な送別会をやっていただきました。

 

代表者プロフィール

8番目のゾエティス(ファイザーの動物薬部門が独立した会社)では、北東アジア(韓国・台湾・日本)地域のサプライチェーン業務の管理を担当していました。 動物薬の種類が、人体薬のように大変多いのにびっくりしました。 台湾に部下がいた関係で、初めて知った興味深いことがあります。 台湾の学校(全部ではないかもしれませんが)の卒業式で、「仰げば尊し」が歌われている事実です。 もちろん歌詞は、中国語ですが、メロディーは、そのままです。 親日と聞いてはいましたが、まさかここまでとは思いませんでした。  

 

62年間の人生ストーリーの中には、まだまだ、書ききれない体験談(失敗・挫折・成功)が、いろいろあります。 
私の体験学習した様々な事柄の中には、貴方の役に立つ体験談もあるかもしれません。
自分自身の体験をベースに、的確なサービス・アドバイスを提供し続けていきたいと考えていますので、今後ともよろしくお願いいたします。 

 

関連ページ

略歴
代表取締役 黒田哲郎の略歴
資格・特技
代表取締役 黒田哲郎の資格・特技
執筆
代表取締役 黒田哲郎の執筆

ホーム RSS購読 サイトマップ
トップメニュー ニュース 代表挨拶 プロフィール 業務内容 企業情報 概要 アクセス 採用情報 お問い合わせ